吉田稔麿、新撰組(池田屋)との最期とは?お墓の場所はどこに?



大河ドラマ「花燃ゆ」でも活躍に注目が集まっている吉田稔麿。

2015年6月21日に放送される花燃ゆではついに池田屋事件が勃発!

実は吉田稔麿はこの池田屋事件で新撰組との抗争に巻き込まれ最期を迎えるんですよね。

今回はその吉田稔麿の池田屋での新撰組との抗争による最期についてや実際のお墓はどこにあるのか調べてみました!


Sponsord Link




吉田稔麿、新撰組(池田屋)との最期とは?


吉田稔麿にとって運命の日と言ってもいい元治元年(1864年)6月5日池田屋事件。

新撰組が一気に歴史の表舞台に立つことになる事件ですが、同時に天才と称された吉田稔麿が最期を迎える日でもあるんですよね。

その吉田稔麿の最期ですが、どうやら諸説あるようです。

吉田稔麿も出席していた会合の最中に新撰組が襲撃してきて討ちとられた説

長州藩邸にいた吉田が池田屋の異変に気づき、池田屋に向かう途中に邪魔に合い討ち取られた説

池田屋で襲撃を受け、長州藩邸に救援を求めて走るが、門を開けてもらえず門前で自刃

という3説が有力だそうで、池田屋を襲撃した新撰組のメンバーは近藤勇、沖田総司、永倉新八、藤堂平助という実力者ぞろいの猛者たちで、

この猛者たちが鎖帷子などを着込み、準備万端で襲撃してくるわけで、

どう考えても分が悪いのは目に見えていますよね。

日本の歴史ファンはどちらかといえば、学者肌な吉田稔麿よりも、バリバリ武闘派な新撰組のファンの方が多いと思いますが、

後に初代内閣総理大臣になった伊藤博文が
比べられることの方が畏れ多い奇才

と言ってのけるほどの才人で、歴史にタラレバは無意味だと解ってはいるものの、

個人的には、「新撰組何してくれとんじゃぁぁ

と言いたくなるほどの人材を失ってしまったんだなぁ・・・と

この人が明治まで生きて、内閣総理大臣が伊藤博文ではなく、吉田稔麿が務めて、もっと周辺諸国と上手くやって世界大戦も回避出来てとか・・・

ただの妄想ですが、大袈裟に言って、今現在の世界情勢が変えてしまってもおかしくないという人を池田屋事件で日本は亡くしてしまったんだな・・・

と思うと単純に新撰組かっこいいとか言えないんですよねorz


Sponsord Link


お墓の場所はどこにある?


池田屋事件の被害者達は

縄手通三条下ルのあたりにあった三縁寺に葬られた

という記録があった様です。

吉田稔麿もおそらく池田屋事件の被害者として三縁寺に埋葬された可能性が高そうですね。

吉田稔麿はその偉大な史実から招魂墓が沢山ある方ですが、実は実際に埋葬されていると思われていた三縁寺にも遺骨はなかったそうです。

というのも1979年に三縁寺は岩倉に移転し、墓なども一緒に移転したそうなんですが、このとき吉田稔麿の遺骨を調べたところなかったそうなんですよね。

調べてみると、通常遺骨が土に還るまで大体数十年~100年かかるみたいですが、移転した当時、吉田稔麿がなくなってから約115年経過しています。

おそらくもはや遺骨も土に還り、お墓には何も残っていない状態となっていたのでしょう。

最早、幾か所もある吉田稔麿の招魂墓と、三縁寺の本墓が同じ様な扱いになってしまっていますが、実際に元々眠っていたのは三縁寺の墓地だった可能性が高いので、

もし「花燃ゆ」を見て吉田稔麿のお墓参りがしたいと思った方は、京都にある三縁寺に参拝にいくのがいいのではないでしょうか?

英霊を偲んで、今の日本に感謝を^^

以上「吉田稔麿、新撰組(池田屋)との最期とは?お墓の場所はどこに?」の記事でした。最後まで読んでいただいてありがとうございました。

アドセンス

Sponsord Link

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする