更科六兵衛に実在の人物のモデルはいるの?WIKIも調べてみる!



三谷幸喜監督の映画作品「ステキな金縛り」。

女優深津絵里さん演じる落ちこぼれ弁護士と、西田敏行さん演じる落ち武者の幽霊である更科六兵衛の友情を描いたコメディ映画ですが、個人的に気になるのが・・・

更科六兵衛ってモデルいるの?え、もしかして実在の人物?

ということです。

気になったので調べてみました!

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WIKIで調べてみると・・・


とりあえず、実在の人物なのではないかと思ってWIKI等を調べてみると・・・

やはり架空のキャラクターの様ですね。

更科六兵衛という名前があまりにしっくりくる名前だったのでてっきり実在の人物を想定して使っているのかと思っていましたが違うようです。

たしかに実在の人物を使うのであれば、

織田信長

豊臣秀吉

徳川家康

明智光秀

坂本龍馬

みたいな歴史の偉人を使ったほうがコメディとして面白くなりそうですし、実在の人物でこんなマイナーな名前(実際は架空の人物だったが・・・)をつかうとは考えられませんからね^^

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更科六兵衛に実在の人物のモデルはいるの?


では、改めて更科六兵衛が架空の人物だというのが解ったところで、実際に更科六兵衛の実在のモデルはいるのでしょうか?

噂などを頼りに探してみると・・・

いました!笠原新六郎という人物がモデルとなっているようです。

その笠原新六郎ですが、なんとも悲運な運命に生きた武将だそうです。

笠原新六郎が生きた時代は、まさに戦国時代で、父親は笠原清繁だと考えられています。しかし、笠原清繁が居城としていた信濃の志賀城は1547年に武田家が攻め落城しています。

その後清繁の妻は武田家家臣の小山田信有の側室となり、子供や家臣はすべて甲府に連れて行かれたとされています、その中に新六郎もいたと思われ、新六朗は後に駿河の戸倉城の城主松田尾張守の養子となっています。

のちにこの城を守護するのことになる新六郎ですが、1579年に武田勝頼が建てた沼津城に隣接することになり、対武田家への最前線の最重要な拠点となりますが、大した戦果をあげられず、北条家内では「臆病者」扱いされてしまいます。弟の松田直秀が北条氏直に寵愛されていることでさらに立場が悪くなった様ですね。

そんな険悪な状況の中、武田家からは内応を持ちかけられ、それに乗る形で北条家を離反し武田家へ・・・

その後に弟である松田直秀も打ち取っています。

しかし、1582年に武田勝頼が討ち死にし、困った新六郎は父松田憲秀の懇願によって出家し、北条家への家臣復帰を許されています。

しかし、今度は豊臣秀吉の小田原征伐の際、父・憲秀と共に秀吉方に降ろうとした事が露見、父は監禁され、政尭は城内で切腹を命じられたようです。

なんとも悲劇の繰り返しの人生を歩んだ武将ですよね。

この浮き沈みの激しさは歴史の表舞台に立つことがかなわなかったとしても、なんともドラマチックで劇作的です。

三谷幸喜監督が更科六兵衛のモデルの笠原新六郎を選んだのも解る気がします。

ちなみに更科という苗字の由来ですが、新六郎がいきた地域甲府には更科姫という伝承があるそうです。

三谷監督はこの更科姫についても知っていて、苗字はこの更科姫から、名前は新六朗から六兵衛とこのキャラクターを名づけたのではないかなと思っています。

名優西田敏行さんが演じた不幸を生きた幽霊「更科六兵衛」!

実際のモデルを知って映画をみるとまた違った味わいがあるかもしれませんよ!

映画「ステキな金縛り」!見ていない人はぜひ^^

以上「更科六兵衛に実在の人物のモデルはいるの?WIKIも調べてみる!」の記事でした。最後まで読んでいただいてありがとうございました!

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